2010年8月10日火曜日

御巣鷹山のこと



群馬県上野村・慰霊の園。
1985年8月12日夕刻、JL123羽田発伊丹行きB747SR-JA8119
満席のジャンボジェットが墜落し、想像を絶する地獄を作り出した場所の麓です。
最後まで身元が判定できなかった、夥しい遺骨が、地元上野村の有志が供出した土地に、慰霊碑と共に眠っているそうです。

ずっと、気になっていた場所、25年目にして初めて参ってきました。

この事故が起きたのは、若干16歳、航空関係に進むことを夢見て進学して2年目の夏休み。
正直に言えば、身内に関係した者も無く、TVのこちらからの傍観者として観ていました。
でも、”夢と憧れの、カッコいい”飛行機、が作り出した
”地獄”
は、ココロの基礎の様な所に、しっかり刻み込まれたようです。

普段の生活の折々にまで、思い出す訳ではないですが、
地上とはいえ、人を乗せて走る製品に関わっているシゴト。
”安全か?”
という問いに直面する度、必ず頭をよぎります。

未だ、原因については、様々な推測があり、明確な真相は判っていないようです。
それによる、いろいろな未解決問題もあるようですが...。
技術者として受け止めるべきなのは、
幾通りもの推測が成り立つ=その数だけの、事故の可能性が潜んでいたということ。
そのどれか、あるいは複数が具現化すると、”地獄”を生み出すということ。
そして、搭乗者以外の犠牲も生み出すということ。
家族、地上クルー、スタッフ、...。

最期まで諦めずにコントロールを試み続けたクルーのこと。
他にも...学ぶべきことを多く遺してくれています。

若干16歳の秋、クラスメートの写真部員が羽田で撮り溜めていた写真の中に、
機体番号JA8119
を見つけ、学祭展示が終わったあと、全紙サイズに伸ばされたその写真を引き取って、部屋に飾りました。”飛行機屋になるなら、忘れちゃいけない”と思ったので。

結局、今は飛行機屋ではなく、間もなく直接の技術者ですら無くなりそうですが、
刻み込まれた
”JL123のこと”
は、忘れることは無さそうです。

ここで見る青空は、言葉通り目に沁みます。

※当時の年齢に記憶違いがあったので訂正しました。歳、とったんですねー(自分)...。