2010年12月26日日曜日

【思いつきカタログ(?)】電柱発電ステーション


絶対、どなたか考えられてて、試算もされているんだろーな、
とは、思ってます。
けど、車で走る度に、今の日本の街中で、
日照と風通りは、道路上が一等地だなぁと、
なにか使えないかなぁ、と、
思ってしまうのです。
「電柱地産発電→大規模発電所開発の悲劇無くす...」
って、なりませんかねぇ...。

2010年12月12日日曜日

逝くヒトを送るということ

今日、それぞれ友人のところで、
新しい命を抱えた門出の祝いと、大往生の訃報が同時に。
つい、”リレー”だなぁって思ってしまいます。

お疲れ様でした。お幸せに!

いつの間にか、結構な数の皆さんを、見送ってきたみたいです。
身内、親戚、友人、兄弟のようだった犬、猫、お世話になった方々...

以前は、訃報に接する度、落ち込むというか、
なにか身悶えするような悔しさと、喪失感がないまぜになって、
必ず、少しの間、
やりきれない気持ちを引きずって過ごしていました。

もっと何か話を聞けたはずだったんじゃないか
もっと会って、笑って過ごす時間が取れたんじゃないか
もっと何か...

罪悪感にもちょっと近い感覚。

でも、亡くなったヒトの人生の全てを、受け取ってみる事なんて
不可能なんですよね。今頃気づいたけど。
人生の器は、自分一人分しかないから、
他人様の人生全てを受け入れることはハナから無理な相談だったんです。
それを悔しがっていたような気がします。

だからこそ、そのヒトと自然に共有できた時間
会えた時間
話せた時間
伝え合えた事ども
などなど...それ以上を望むのではなく、
戴いたものを大事に、自分を培う宝物として、
心底感謝して別れる事にしました。

それでも、喪って空いてしまう空間の寂しさだけは、
どうしようも無いのですが。

2010年12月10日金曜日

THE BIG ISSUEのこと

”フラッシュリーディング”だったろうか。大量の情報を受け入れるのに、集中して、でも1ページ1秒程度で”見る”読み方。
そんな読み方でも、脳はイメージを記憶するので、強く必要になった時に、潜在的に取り出せる...らしい。

「積ん読」にまみれて久しいのだが、今日の帰りは久しぶりに資料を読まずに良くなったので、10/15版の「THE BIG ISSUE」を読んでいる。読みながらイメージしたのが、冒頭の”フラッシュ...”だ。
まずは、潜在意識に取り込んでおくのだ。と。

この雑誌は、ホームレスの自立支援を目的に刊行されており、原則として販売員登録したホームレスの皆さんからしか買えない。三鷹では、運良く販売員さんに出会えた時にしか買えなかったが、職場が新宿になり、晴れていれば大抵買える様になった。

つい買ってしまうのだ。「積ん読」にまみれているくせに。

面白いから。

巻頭の、芸能人インタビューなど、売らんかな(否定はしません。商売ですからね。)...のスポンサー配慮に溢れた紙面と違い、さっぱりした歯切れのいい記事が心地よい。

隠れたクリエイターの仕事ぶり、の連載や、テレビの裏話なども辛口で面白い。

その歯切れの良さは、この雑誌の中心記事となる「社会問題」テーマになると、むしろ凄みを伴ってくる。
思わず身構えてしまう「ホームレス」「貧困」、「格差社会」「子捨ての連鎖」「虐待」などなどのキーワード...。ときに想像を絶する事態を、淡々とすっぱり書いてしまう。

そこに、真実味と凄みを感じてしまうのだ。

迷路の様に入り組んで、シンプルには救いようの無い数々の事象たち。どれも、ちょいと手を出せばどうにか出来る問題じゃない。

気が滅入るハナシだけど、でも”おののけ!” ”おびえろ!” ”焦れ!”などとあおらず、
”淡々”と書かれると、取りあえず事実として、まずは知るだけ知っておこう、と、冷静に受け止められる。

まずは、潜在意識に格納しておこう、と。

”今すぐ、◯◯をしてください!!”というあおりは無い代わりに、じっくり潜在意識に浸透させて行く。充分読ませる紙面がそれを実現している。と、思う。
敬遠されがちな社会問題の、”フラッシュリーディング”を。

確信犯?

出版、文筆の世界には素人なので、笑止かもしれないですが...。
でも、きっとまた買う。(笑)