2011年10月15日土曜日

【お知らせ】東日本大震災・支援のお手伝い先

地震・津波当日から7ヶ月。
とうとう、被災地に冬がやってきます。
北の友人達の「呟き」では、すでにストーブを出しているとか...。

様々な報道がされています。
「もう物資はいらない」「全然足りていない」
「瓦礫は概ね片付いた」「当日のママ何も変わらない」
...。

この震災は、過去に類を見ない程の規模なので、
全て、同時に起きている事実だと言う事を、
忘れない様に、と、いつも自分に命じています。

できるだけ大きな、一枚ものの日本地図を拡げて、
過去に大きな災害のあった場所の、
大きさ、
を確認してみてください。

阪神淡路の被災地域。
中越地震の被災地域。
関東大震災の被災地域。

引き比べて今回の地域は、
津波だけでも青森、岩手、宮城、福島、茨城、千葉。
揺れに関しては、青森から、一部長野、新潟に及ぶ広大な範囲です。
関わる人の数、起きている様々な事柄の多さたるや。

なにも終わっていない地域、始まっていない地域が、
まだまだ数多存在するようです。
未だに、「仮設」ではなく、「避難所」が存在している事、
知っていなくては、と思います。

長くなりました。本題です。
冬に向かい、私が直接知りあえた、支援に心を砕かれている皆さんが、
支援のご協力を募っておられます。
できれば、心に留めていただいおいて、何かの折、「あ、これを」
と思い立った際にでも、無理無い範囲でご協力いただけたら、
と思います。

【支援物資募集】
 私が大変お世話になっている、技術者の大先輩の、さらに先輩(御歳70歳!)
 が、仙台を拠点に支援活動をされています。
 仮設住宅の住環境整備や物資支援、イベント開催など精力的にされています。
 10/8〜10も、多賀城市の仮設住宅で、ミニコンサートや生活物資バザーを開催
 されていました。
 今回、冬に向かっての物資不足で、継続的に支援物資の募集をされています。
 ・募集物資;家電、食器、調理器具、衣類(冬物が不足)、缶詰類、保存食
 ・送付先&預り所:〒983-0034 仙台市宮城野区扇町4-7-34
          株式会社 仙台自動車サービスセンター内 半澤様 宛
          TEL;022-237-0121 FAX;022-237-0080

【W支援】
 無職の時、支援物資の搬送のお手伝いから知り合った、横須賀のゴルフショップ
 「ハミングバードスポルテ」さんが構築された支援システムです。
 横須賀のJAさんの口座に皆さんから振り込まれたお金で、
 「被災地で調達」して物資/食料支援を行っています。だから「ダブル」支援。
 今現在は、「炬燵セット大作戦!」を遂行中!
 詳細は、リンク先をご覧ください。

※政府アナウンス「仮設住宅の暖房...」実態をふまえての、活動とのこと。時間が...


2011年9月16日金曜日

【思いつきカタログ】リザーブタンク付きオイルライター

持っていなかったんです。
火種。

3/11、震災当日。
煙草を吸わなくなって久しく、常に鞄や上着に入っていた
「ライター」
を、全く持っていない事に気づきました。

東京は、当日の夜以上にシリアスな状況は訪れませんでしたが、
まだ寒かったあの時期、
火を起こせる状況に無い事への不安を感じていた、
帰宅難民の夜でした。

んで、ライター。
絵をクリックすると、多少大きくなります。
タフさ、でいくと、やっぱりオイルライターかな、と思います。
◯寒くても、体温で暖めればOK
◯燃料は、ガソリン・灯油でも何とかなる
◯気圧の影響も受けにくい
◯なんてったって、単純♡

ただ、得てして、オイルの揮発が早いのが残念。
特に、普段使わないと、間違い無く乾いてます。

そこで、非常時〜燃料入手までの繋ぎの分を、
リザーブしておけないか?との思いつきです。

補充の際のみ、リザーブを使う様にすれば、常に貯金が。
...常に底まで使っちゃう性格だと、意味ないかなぁ(笑)

2011年9月15日木曜日

【自分メモ】「稼ぐ事」と「仕事」

ちょっと憶えておこうと。
また新しく気づくまでの、個人的見解メモ。

「稼ぐ事」と、「仕事」。
重なっている割合の多い少ない、
だったんだ。

稼ぐ事、
は、
経済にまつわる内容に限定されるけど、

そのヒトで在るがゆえに為すべき仕事、
為した方が良い仕事、
は、
生きている時間のどこにでも在りえる。

もちろん稼ぐ事の中にもある。

まったく分かれているヒトもいる。

...前職を辞めて4ヶ月、長い夏休みに教わった事。

2011年8月25日木曜日

【思いつきカタログ】逆さ傘(笑)。雨を見るとつい集めたく...

今朝も雨でした。
雨降りを眺めてると、つい思ってしまうのです。
「この水、もったいないなぁ」
と。

本格的な雨水利用については、井戸掘り親分の本業なので、
いずれ詳しく教えを乞いに伺うつもりなのですが、
(...もう1年以上保留のまま。ごめんなさい!)
ぼんやり雨を見ながら思いついたのが、このマンガです。

折り畳めて、それなりに面積かせげて、
何も無い場所での使用を前提に...
なんて言うより、”雨→傘”の、何の変哲の無い発想からですね(笑)。

クリックすると大きくなって、
...アラが良く見えます(苦笑)。

いろいろ”アラ”があると思うので、
ご教示願えれば幸せです。

ま、思いつき、なんですが。

2011年8月24日水曜日

【思いつきカタログ】暖助でスターリング発電

「暖助」はご存知でしょうか?
リンク先を是非見ていただきたいのですが、
今被災地で大活躍の多機能かまどです。
暖房、炊事(かまど)、風呂釜にもなる優れモノなのです。

このせっかくの熱源で、発電もしてしまえば?
いつも気になっている”スターリングエンジン”で。と。
スターリングエンジンとは、空気の熱膨張/収縮で回る、熱さえあれば
熱源は問わないエンジン。

調べると、協和合金さんのスターリングエンジンの形状が、
暖助に取り付けるのにぴったり!に思えてきました。
是非リンクをご覧ください。

んで、アイディアまんが。


今は、かなりの範囲で電力が復旧しているようですが、
停電時、せめてコミュニケーション用や簡単な照明用の電力が、
熱が在るだけで得られるなら、あって良いかな?と思うのですが...。

思いつき、です。

2011年8月12日金曜日

落書き色付き

角椀(溜)
...のつもり。
さて、再就職の就業開始までになにするか?
お絵描きをしよう!と(笑)

【言い訳】
下手だけど、好き♡。(←なだけだね。結局...)
設計=イメージを伝える仕事。ならば役に立つ!
ってか、伝える力の強化かぁ...

んで、プロダクトデザイン課の皆さんの、
スケッチの教科書みたいなヤツを購入。
なるほどね。デザインスケッチって、こんな風に描くんだ。

COPIC?なんか便利そうな画材があるなぁ。
世の中進歩してるんだ...って、20年前からあるのか!
丁度、就職して満開で残業してた頃だよなぁ。

1色400円!
当時だったら、知ってても買わなかったと思う(苦笑)。

そんな高い画材で、「子供の落書き」をしていると、
罪の意識と自己嫌悪にならなくもないけど、
いいよね〜!もう。折り返しすぎたしさっ。

修行修行〜♪...(シリアスにやらんから上手くならんのじゃ!)

でも、色がつくのって楽しいなぁ〜。

思いつきメモにも彩色♪
たーのしー♪
まだ、色鉛筆とパステルの使い方も書いてあったが...。
さて(笑)。

2011年8月2日火曜日

陸前高田〜牡鹿/石巻訪問20110723〜24 #3

(続き)
引き続き、訪問の全写真はこちらに。

今日は、現地の方との食事会と、自宅避難の方にお見舞いの食料他をお届けに。
沼津の水産加工会社さんから提供いただいた干物と、W支援の福島の桃と。
私はお届けに同行し、いつも沼津から運んでくる干物を、
実際にお渡しさせてもらいました。
牡鹿半島 小積浜にある津波の碑
「地震があったら津波...忘れるな火の元の...先に老幼続いて避...」
と読めます。
...。
完全に津波が突き抜けた家々や、基礎だけになってしまった集落の端に、
僅かに高台になっている家が一軒。
「やっと先週電気がきたの!んで、早速いろいろ繋いでみたけど全部駄目で(笑)」
明るくお話されてますが、...4ヶ月半も、電気無しに、廃墟になった集落の中で...。
「水道は?」
「まだだけど、もうそこまで来てるから!」
...。
カメラを向け難かったので、メモで。
クリックすると、多少大きくなります。
家の中も、1階は壁が剥がれたり、床が抜けていて殆ど使えず、
2階で生活されていました。
少しでも高い場所で寝る...今思えば、そういう気持ちもあったのかも知れません。
「直してもしょうがないけど、住めるようにはできそうだから。
家電買ったのよ(笑)」

他にも数カ所回りましたが、総じて皆さん明るく、
オトナな冗談で笑っていました。強いなぁ...。

本当に、まだまだ、何も終わっていなかったです。
やらなければいけないけど、どうすれば良いのか途方に暮れるばかり...。

でも現地では、手の中に、今出来る小さな事はいくらでもあって、
それをひとつひとつ、人を笑わせながら片付けて行く皆さんがいました。
ゴールではなく、1cm先の未来を見ているような。
1cmの積み重ね。1cm進めた喜び。

晴れた牡鹿半島は、言葉通りのコバルトブルーの海に。
これが、北は八戸・種差海岸まで続く、壮大な芸術作品が三陸海岸。
宝物のツーリングコースでした。
いつかまた。心から能天気に走りたい。
「まだ終わっていない」
その事だけは、しっかりと刻みこみました。
引き続き、できることを。

また伺います。
(結)

陸前高田〜牡鹿/石巻訪問20110723〜24 #2

(続き)
引き続き、今回の訪問全写真はこちら。

石巻に。
石巻赤十字病院
数年前に、市街の中心だった沿岸地区から、現在の場所へ。
「不便になった」と、地域から大不評だったそうですが、
以前の場所は津波で壊滅。石巻〜北上川以南で唯一の医療拠点に。
何が幸いするか...
石巻 門脇?住宅街
海岸線から数キロ内陸の、東京のイメージだと多摩地区のような、
ベッドタウンな住宅街。まさか津波が...との思いと、
居住人口の多さで被害が大きかったそうです。
続いて、女川。
NHKスペシャルでも紹介された、液状化+津波でひっくり返ったビル達。
女川市街
海沿いで、駅の近くにコンビニがあって、
バイクで来た時にトイレを借りて...全く判りません。
ビルの、高い階に車が刺さっていて、
しかも窓が曇ってて...
...どうにも近づけず、機材も無く...
様々な悲劇が繰り広げられていたそうです。
再び石巻に戻り、横須賀で廃業された食材/飲食店の業務用機材を、
復興町づくりの会の方に搬入しました。
”石巻 川開き祭り”で早速使います!」
と喜んでもらいました。役にたっていたらいいな。

宿に向かう途中、寄った石巻・渡波地区のイオンの駐車場で、通りすがりのオジサンが、
「...なんも無(ね)。裸一貫だ。裸...」

宿は、奇跡的?に、家屋倒壊も人身被害も無かった、牡鹿半島の新山浜に。
気っ風の良い女将さんと、手伝いのお母さんが素敵で、
はち切れそうな料理と生ビールで大歓待を受けました。
新山浜
地元の方の発音だと”ニヤマ”に聞こえます。
宿の裏手に可愛い祠が。
しかし、お手伝いのお母さん、実は別の浜の方で、津波に流されたそうです。
乳幼児と小学生の孫二人を両腕に掴まらせて...。
途中、小学生の孫がはぐれて流れしまい、もう一人の孫と必死で角材に掴まったら、
角材が運良く無事な家に回り込んで、九死に一生を得たそうです。
新山浜の社
丁度ここの高さまで津波が来たそうです。
浜の社が高いのは、津波の時はここまで逃げろ...という意味もあるとか。
幸い、流されてしまった小学生の孫も、漂流物を乗り換えながら、
無事に別の場所に流れ着いて無事だったそうです。
よかった。
米軍”トモダチ作戦”のヘリポート跡。
不足物資の意思疎通は身振り手振りで、滑稽なのもあってね、と笑ってました。
「トイレットペーパーがねぇ...」
さすがに港と船は全滅だったそうです。
沖出しするか、山に逃げるか、でも後者で正解だったと。
新山浜
被害が少なかったとはいえ、破壊力を感じます。
でも、この浜は、過去幾多の津波でも無事な浜だとか。
今日は牡鹿半島内に。
(続)

陸前高田〜牡鹿/石巻訪問20110723〜24 #1

前回の訪問が、ちょうど震災2ヶ月目の5/11。
以後、こちらで就職活動をしつつ、
機会あるごとに、支援のお手伝いをさせていただいたりしてました。

そんなお手伝い先のひとつ、横須賀のゴルフショップさんから、
「そろそろ最後の訪問になるかもしれないけど、一緒に行く?」
とお誘いを受け、4ヶ月半目の被災地を訪問してきました。
訪問全写真はこちらへ。

いつものお手伝い、沼津の干物工場から支援物資の干物を横須賀に運び、
そのまま他の参加者を拾い、一路東北へ。
陸前高田〜海岸線沿いに北上まで南下、石巻に出て、女川。
牡鹿先端近くの新山浜で一泊して、牡鹿狐崎でお食事会。
途中石巻で物資搬入、牡鹿の避難者さんに物資お届けも。
沼津往復も入れると1800km程になりました。
深夜、常磐道〜磐越道〜東北道と走り続け、早朝、陸前高田に。

陸前高田市街
積み重なっていた、生々しい瓦礫は撤去され、広漠とした空間に変わっていました。
人の気配はありません。
ここから、海岸沿いに南下しました。
気仙沼・内部捜索済み、の”ok”マーク...
気仙沼市街・オイルフェンスのリール
まだまだ、瓦礫の撤去が進んでいない地域が目につきます。
ただ、全壊地域...居住不能、とされた地域については優先順位を下げているのも事実だそうです。
階上地区・気仙沼向洋高校
いまだ地盤は海に向かって伸びかつ沈みつづけていて、
すぐ壊れる仮復旧した物流の命綱...主要道路の補強/補修や、
雨期/夏を迎えての衛生対応、仮設住宅の建設などなど。
南三陸・歌津地区
自治体の口座はすでに空っぽな時期。加えて来期の税収は見込めない...。
市町村の中心部が丸ごと無人になり、復旧復興の道筋...なにをどうすれば?
現場の行政担当には、限界がきているとの話にも説得力があります。

現行法の元では、津波被災範囲に建築許可は出せないけど、といって土地も無く。
法を変える権限をお持ちの方々は、いまだ...。
南三陸・志津川付近 中心街
...無人。
とにかく、あまりにも広く、傷が深い...。
南三陸・陸前戸倉 モアイ像のある駐車場

2007年5月の、モアイ像の勇姿
北上川河口まで南下、新北上大橋が渡れないので、
最後まで孤立していたという雄勝地区には入れないまま、
一旦石巻に向かいます。(続)
北上地区 吉浜小学校
14:46で時計の針が止まっています。

2011年7月1日金曜日

2011年6月30日木曜日

缶詰選別ボランティア?に参加させていただきました。

twitterのタイムラインを流れて行くリツィート...

"【急募】木の屋被災缶詰選別作業ボランティア!
清澄白河駅近く。 経験者以外も!
最大15名募集。
今回至急の為フルタイムじゃなくても歓迎"

だいぶ以前、数回お邪魔した事のある経堂の不思議呑み処、
さばの湯さん関係の方からのリツィートでした。

退職後、勝手に決めた行動目標
1.ヒマにせず、自分へのインプットをする。
2.機会のある限り、被災地支援に参加させてもらう。

だったのですが、ぽっかりヒマになりそうだったので、
渡りに船!と、参加させていただく事にしました。

作業は、木の屋石巻水産さんの、
出荷の為、商品別に仕分ける、というもの。

集まった皆さんは、
殆どが何らかのジャンルのクリエイターさん、
という贅沢なメンバー。
6月の記録更新!な猛暑の中、
2.5日で20,000缶くらい?を汗だくで仕分けました。


木の屋さん、震災以前から経堂でよくイベントなどされていたそうです。
そこでの人の繋がり...楽しかった時間の共有が、
今の支援の輪を生んでいるのだな、ということを、
皆さんの会話の中から伺い知りました。

ま、実際、缶詰が美味しいのですけど。
(初めていただきましたが、ちょっとビックリ!)

何も無くなってしまっている石巻...いや、沿岸全域、
1社でも、一刻でも早く立ち上がれることが大事な時期なんだと思います。

...にしても、それなりの作業量、
どっかにプールされている大量のマネーを循環させて、
現地の皆さんの”当面のシゴト”と、企業再生の支援とにできそうな....
ま、素人考えなのですが。

にしても、缶詰への印象が変わるくらい、本当に美味しかったです!
早くこの味の復活を!!

2011年6月14日火曜日

【写真】仙台・牡鹿訪問20110510〜0512 #3

最近、牡鹿半島近辺のgoogle mapを見ていて気づいたのですが、
航空写真は被災後のものに切り替わっていたのですが、
『「ストリートビュー」は被災前のままだ!』

そこで、先月お伺いした際の写真と、同じアングルを検索してみました。

いずれ更新されれば消えてしまうと思い、急いで拾い上げたものです。

ご覧になりたくない方もいらっしゃると思います。
ですが、今のうちにご覧になっておきたい方には、
今ならまだ、
googleのストリートビューで見られる事を、お伝えして欲しいと思います。

(3分割その3)
牡鹿半島・給分浜 2011_05_11
牡鹿半島・給分浜 被災前

牡鹿半島・十八成浜 2011_05_11
牡鹿半島・十八成浜 被災前

牡鹿半島・鮎川 2011_05_11
牡鹿半島・鮎川 被災前

牡鹿半島・鮎川 2011_05_11
牡鹿半島・鮎川 被災前

牡鹿半島・鮎川港 2011_05_11
牡鹿半島・鮎川港 被災前

牡鹿半島・鮎川港 2011_05_11
牡鹿半島・鮎川港 被災前

【写真】仙台・牡鹿訪問20110510〜0512 #1

最近、牡鹿半島近辺のgoogle mapを見ていて気づいたのですが、
航空写真は被災後のものに切り替わっていたのですが、
『「ストリートビュー」は被災前のままだ!』

そこで、先月お伺いした際の写真と、同じアングルを検索してみました。
いずれ更新されれば消えてしまうと思い、急いで拾い上げたものです。


ご覧になりたくない方もいらっしゃると思います。
ですが、今のうちにご覧になっておきたい方には、
今ならまだ、
googleのストリートビューで見られる事を、お伝えして欲しいと思います。

(3分割その1)
牡鹿半島・桃浦の入り口 2011_05_11
牡鹿半島・桃浦の入り口 被災前

牡鹿半島・桃浦 2011_05_11
牡鹿半島・桃浦 被災前

牡鹿半島・桃浦 2011_05_11
牡鹿半島・桃浦 被災前

牡鹿半島・荻浜保育所 2011_05_11
牡鹿半島・荻浜保育所 被災前

牡鹿半島・小積浜 2011_05_11
牡鹿半島・小積浜 被災前

牡鹿半島・小積浜 2011_05_11
牡鹿半島・小積浜 被災前