2012年4月21日土曜日

モノを作る、という時に。ココロの眼、ココロの耳

最近、すっかり友人となってもらってるご飯屋さんで事件が。
よくある雑誌のお店紹介の取材で、彼らのお店のコンセプトが
「外食にウンザリして始めたお店云々...」と紹介され、
複数回にわたる修正連絡が無視され発行されてしまいました。

彼らとお話する限りでは、むしろ外食は大好きで、
お店を始める前後に渡って、彼らの外食先の飲食店さんと、
とても仲良くおつきあいされているのですが...。

そこでのお付き合いにうっすら水を差す様なニュアンスを、
事前の修正要求を無視して発行...と言う事は当然、
あとでニュアンスの誤解で何か起きても知らん顔なんでしょう。

やれやれ。

最初に事件を回避できるチャンスを持っていたのは、
実際に取材をしたライターさん。
彼女の、人が伝えたい事のニュアンスを、プロとして正確に聴き取る
「ココロの耳」
がちゃんとしていれば、何も問題にはならなかった筈。

次にチャンスを持っていたのは、その雑誌の編集作業に携わる皆さん。
修正の要求が、どの段階で無視されたのか、外野には知る由も無いですが、
何れにせよ原稿から印刷に到るプロセスの中で無視されたのは事実。

いろいろ想像してしまいます。

私の稼業は、自動車の開発に、数多居る”並”の設計者として携わる事。
どこの職場でも同じかと思いますが、
「コストダウン」
が至上命題。標的は製品のみでなく、”開発作業”そのものにも及んでいます。

で、普通の経営者さんが考えるのは、
「無駄をなくせ」→「やり直しを無くせ」→「修正を無くせ」
で、現場はどう対応するかというと、多少の瑕疵なら
「変えないで進める」
ことに心血を注ぎ、全力を尽くすことになる。
”設計直行率”なんて評価単位を編み出して、
途中で修正の入る設計を糾弾までするんです。

出版業界さんも、大筋そうなのではないのかな?

自動車は、多くの規制や、安全に関する管理が厳しく、世に出る際には
一定の品質が確保されたカタチになるまで作り込まれます。
ですが...。
それですら、
作り手側が言うのも微妙なのですが、最近の自動車、いや工業製品全般、
いや、
商品として作り出される大半のモノ達が、
「考え抜かれ、作り込まれていない」
”磨き”の工程が無いんだろうなぁ。
と、感じるものばかりです。残念ながら。

”短時間でちゃっちゃと作り上げ、次々目先を変えたモノをどんどん作る”
”やり直しは罪”
となったら、試作や試し刷りを繰り返し”磨き上げる”なんて大罪。

納得いくまで作り込んで、作り手を鍛えるのはもっと無理。

そうやって作られるモノは、掛けた手間やコストに対して、
一見”効率よく”対価=お金を得ている様に見えるけど、
実はそんなモノに溢れているから
モノが売れない
んじゃないかな?って、漠然と感じています。

お金を作っているの?
作っているのは車、作っているのは伝える言葉。
お金は対価。
対価のみを得ようとして、何を作るのか見失っていないか?

やり直しが罪と言うなら、未経験者は育つチャンスが無くなってしまわない?

何十回、何千回、綺麗だけど成立していないカタチ、
成立するけどみっともないカタチに挟まれて七転八倒して、
空間に線を見出す
”ココロの眼”
を鍛える。 

文章にしてみたけど「違う」という、
取材対象本人のニュアンスとの差を徹底的に会話して,
人の想いを感じる
”ココロの耳”
を鍛えてゆく。

最初から、パウル・クレーの迷いの無いスケッチの線が引ける訳が無い。
最初から、谷川俊太郎のココロ震わす言葉が紡げる訳が無い。

と、思うんだけどなぁ。
(彼らは天の才もあるよね?という部分はこの際無視(笑))

こんなに世知辛くなる前。日程は厳守だけどやり直しは何度でもさせられて、
寝ないで(笑)鍛えていただいた身としては、
後を紡ぐ後輩達に、手の及ぶ僅かな範囲だけでも、
学ぶチャンスを作ってあげねば。

きっと、もう気づいている人たちは居る。
規模の大小ではなく、ココロの有無で分かれるところ。

ココロの眼、ココロの耳を育てるココロ。
ココロせねば。