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2016年3月13日日曜日

そういえば、自分も折れかけた事がありました。(ツィート再録)

※自分のtwitterアップのまとめです。
   振り返ると、自分のこのあたりの事をまとめてみた事が無かったので、
   自分の為にまとめました。
   ...くどいと思います。ツィートまま、なので読みづらいと思います。
   事前に一応。ツィートで”お目汚し”だった皆様には陳謝も...。

もっとも思い通りにならないもの...自分の心の動きだよなぁ。
初めて就職した会社を辞めた時、
実はほとんど心が折れかけていたのだ...って、
後から気づいたのを、
もうすっかり忘れていたけど思い出した。
恥ずかしいけど、辞めた直後、泣きまくってたんだった。

本当に自分がやりたい事はこれじゃなかった”
から、
「年齢制限にまだ間に合うから、やりたい事に挑戦するので辞めさせてください」
って言って辞めた。
それも真実だったし、
実際にその後7か月かけて本気でチャレンジもした。
最終試験で落ちたけど(苦笑)。
でも、逃げたのも事実。
当時の自分は、「職に就く」事に対して消費者的だったと思う。
”選んで、買う”に近い感覚。
職には”選ばれる”ものなのに、
実際就職活動中に落ちてすらいるのに、

2014年10月4日土曜日

”派遣”って、”新しい働き方”へのチャレンジだったんだよ、1988-93年の5年間くらいは。


以下、あくまで現場所感なので、精密さ正確さは欠いていると思います。
資料的に不正確ですので、その辺の厳密さは必要ならご自身で補完を。
すみません^^;;。

※雑記にて、結論薄くすみません(先に陳謝)。

さて。

キャリアとスキルを手に、会社に縛られず「実力」で業界を駆け回る...。
を、割に本気で追っていたと思います。その頃の「派遣」。

なので当時は、割に”エリートど真ん中”な出自のみなさんも、
この”派遣”という業界に一杯いらっしゃいました。
が、1994年あたりに来た
「不況の波+労働者派遣法の取締強化」
で、大手の派遣先さんがこぞって派遣切りしたら、
彼らはきれいさっぱり居なくなっちゃった。

1996年頃、マネーは戻らないけど仕事は増え始めました。
だけどバブルからの一連の不況で、コストが高く
「減らしたい時に切れない」
正社員は採用したくない、というニーズから、
再び派遣が活況を。
ただ、こんどは徹底した”コスト目線”でのニーズ。
並行して年々厳しくなる、大手の正社員への
「労働者保護にまつわる規制」(←とにかく労働時間の短縮)
の強化もあって、不足する必要な労働を
できるだけ低コストで派遣社員に振りむける...方向に。

当然、上記ニーズなのだから
「派遣→正社員」登用、など人事担当さんは考えていない。
なのですが、日本の労働行政は
”正社員を是、派遣は一時的なもの”
という前提なので、溢れ始めた派遣労働者を前に
「労働者派遣法の改正と、適用取締強化」
を打ち出します。

これにより、
”一定期間同じ仕事をさせている派遣社員の正社員登用の義務”
”正社員と派遣社員の間の顕著な残業時間差への監査指導”
など、派遣を買う側、「派遣先」の義務が強化され、
”雇いたくないから派遣使う”
のメリットが失われてきます。

そこで登場したのが「業務委託(業務請負)」。

”人を借りて来るんじゃなくて、業務を委託するんだから
人に纏わる煩瑣な責任(訴追されてぐったり)は不要♪”

今ココかなぁ。

自社の構成員としてではなく、あくまで
「他社に注文して結果を得る」
なので、
「業務内容とアウトプットが明確でないと成立しない」
のですが、現場は
”今まで通り派遣が使いたい...派遣がだめになった代わりでしょ?”
と、委託業務内容のメモすら作らず、派遣と同じ様に使って、
「偽装請負」
として摘発されはじめています。

それを受けての最新?は、
最近新聞で見たのが
「格差付き正社員採用」
非正規で自社内に働いている社員で、めぼしい人に声をかけ、
「一般正社員」
とは若干(?)異なるけど、「正社員」に「登用」する、と。

いずれも、昔からある業務の形態なのですが、
「如何にして正社員外で正社員の仕事させるか」
に知恵を絞って、
意訳した運用形態を作るのに”躍起”さを感じますね。

ふう。

思うのは、二つ。

「仕事」と、「作業」の差に理解が無くないですか?

「本分」を失っていませんか?

考え方の根底に、
”誰がやっても同じ”
”切り分けてコストさげて”
”・・・”
という考え方を感じます。

...機械的な「作業」であれば、まぁ可能だと思いますが、
”何事か、意味ある結果にたどり着くための総合的な行動”
としての「仕事」は、そういうモノでは無いのでは?

あと、自分の会社が何事か発意し、
また営みを続けるために行う
「仕事」。
まずは”自弁”が本分なのでは?

その本分なく=自弁する気さらさら無く
コスト目線で丸投げ...しかも机を並べ、
同じ床の上にいる”処遇の違う”人間に。

...そこに疑問や違和感すら持たず、
慣れて”当たり前”と思っているメンタリティ...。

最近、目にするモノコト、メジャーなものには
軒並み
”作業”のみで生まれた、”仕事”のこもらない物
を多く感じています。

お互いに本分を全うし、健全に高め合う仕事の仕方。
小さな所にはちゃんとあると思うのになぁ...。

派遣から委託、を歩いて来た目線から見える
今の風景は、こんな感じです。

雑記。





2014年5月16日金曜日

大学・考

”大学卒なので、自動的に給与が高い、昇格が早い。”

これが、中身を失っているのに延々と継続されているのが、
諸々ダメになっている元凶なのではないかなぁ。

元々、多分昭和初期あたり、大学とは
”世を背負って立つ、知的エリートの育成機関”として、
選りすぐりのごく少数の人材を排出していて、
その人材達も世の期待を認識していたんじゃないかと。

大学を出たからには、「公利」を導く先達に。

なので、世の中は彼らに報いるべく優遇したんだと思う。
ま、枝葉はともかく。
高等教育機関に対する様々な法的優遇も、
そこが正当性の根拠だと思うんですよね。

ところが昨今、その「優遇」は”大学卒”という切符を持つ者の
「権利」
だと位置づけられ、
”とにかく切符があるから優遇は当たり前”
に。
これは「公利」ではなく、まんま「私利」の追求だよなぁ。

じゃぁ、出来るだけ効率よく=勉強や努力は最小で切符を!
魚心に水心、より多く払えばより簡単に...。ビジネス化。

自然な流れ。

となれば、”学び最小”、本来なら入学も覚束ないレベルの人材が
”大学卒”として蔓延し、「優遇」は赤字化するのも自然な流れ。

現実に...
「赤字なのでは、止めれば良いのに」
でも、この優遇システムは、大企業では
殆どの場所で未だに堅持されていますね。
何故?...。

純粋に
”最高学府で学ぶ事への憧れ”や、
”大学でなければ、という学びたいなにかがある!”
ので大学を目指す皆さんはリスペクトしてます。

そして
”全力で学んだ”
皆さんの方が、まだまだ多い!と信じたいものです。

実際、そのまま研究の路を歩んだり、
素敵な皆さんも沢山存じていて、尊敬もしています。

でも、
採用担当として目にしたり、実際入ってくる大卒さん達を観ると...。

やはり、自動的に「優遇対象」に入れてしまうのは、
もう止めるべき...と思います。
時代としても。
そうなれば、「切符」の発行ばかりが目的の大学も減るんじゃなかろうか?
...そんなにシンプルではないか。

いずれにせよ、
ラベルではなく、本人をしっかり査定できる様にならないと。赤字に。
ま、自社は学歴条件無いのですけどね。
(作ろうとしている向きはあるけど)

雑感。

2013年7月28日日曜日

風立ちぬ(ネタバレあり?)

クロニクル形式の映画は、
どうしてもダイジェスティブになりがちな気がします。
長い実時間を、短い上映時間に押し込む、という宿命ゆえに
”このシーンが描きたくて”
という監督の想いつのった、
ぶつ切りの「シーン集」のような。

だけど、この映画は違ったと思います。

全てのシーンに、厚みと含みが。
一度観、では足りない様な。

映画の作り、絵について、
特別に新しい表現や、
「これでもか!」という刺激に富んだ、飛び抜けた技巧などは
無かったと思います。

でも、やはり熟達の技巧に満ちた職人仕事、
美しく「厚み」のある絵。音。

長い人生を重ねて来た皆さんが、
厚く塗り重ねた癖に、
一見そつなく、素っ気なく見える造り。

不親切な造りなのかもしれません。
”こう見ればいいんだよ”
という案内が無く、
登場人物の人生と時代の空気、出来事を淡々と見せられる。
当時の人間達の常識、考え方。

観る側が、どれだけ感じられるのか?
で、楽しめ方が大きく変わる様な気がします。

インプレッションを書かれたブログ...
なにやら主人公の1面側を捉えて、
その面からの視点で作中の出来事を拾い出して構成して、
「いままでにない作者のこんな面を見つけだした!」
と書かれていたモノを読みました。

まあ、そう見ればそういう面もあるでしょう。

ちょっと、「紅の豚」で聴いた台詞が耳に。
「...あなたのお国より、もうちょっと人生が複雑なの。」

大正時代の、地方の良家の兄妹の素敵な言葉遣い、
設計者が、まだ見ぬカタチを想いの中で作り上げて行く過程を
ビジュアルに見せるその円熟の表現。

そして新しく、身に迫る地震の表現。

ものづくりの功罪。不可避な時代の翻弄。
人の想いと運命のままならなさ。
人間の不器用な事。

原理主義的に一元化されつつありそうな時代の雰囲気の中、
考える眼を持って観ると、深いんじゃないかなぁ。

とにかく、涙もろいワタクシはボロボロと(苦笑)。
野村萬斎のカプローニ博士、よかったなぁ。

あ、トトロ、的な、ファミリーなお愉しみには向きません。
はい。



2013年6月16日日曜日

背水の陣

背水の陣を敷く、って、嫌いなんですよね。
精神論も。
「最後の活路」「生還の保証」が見えているから全力で闘えるんじゃないですか。
ダメな場合のオプションを語って、「後ろ向きな事いうな!」と激昂するのはちょっとどうかと思うなぁ。

それじゃ部下は全力をださない?...脅迫しなきゃださないんじゃ、
どの道まともには続きませんよね。

「ここ一番の背水の陣、奇襲作戦」
は、本当に一生に一度くらいしか使うべきじゃないと思います。

そういう時は絶対あるとも思うけど。
そういう時は脅迫ではなく、信頼で繋がってなきゃ、負ける。
と思う。絶対。

それに、「後が無い」を常に要求してたら、兵士たちは皆壊れちゃう。
だから、それを
「避け続ける事」
に全力を尽くすべきなのでしょうね。
指揮官は。

ま、優れた指揮官じゃないので、部下に救われっぱなしだけど。
(苦笑)
努力はしようっと♪

http://ja.wikipedia.org/wiki/永遠の0

2012年10月18日木曜日

”オスプレイ”なのか?

一連の流れ、殊に配備反対のご意見はオスプレイが諸悪の根源、的になってますが...。

本質は、
”沖縄県への米軍基地集中かつ不公平な地位協定で踏みにじられている諸々”
”ありえない危険度で運用され続けている普天間飛行場の問題”

と、捉えているのですが、如何なのでしょうか?

悲惨な基地周辺の暴行など諸事件や、
普通は「臨時離発着場申請」も下りないんじゃないか?
という市街ど真ん中での常用基地運用、
そして頻発する事故とその不条理な処理...。
心が痛い話が多いです。
つい昨日にも女性への暴行事件が・・・。

なんの準備、確約も無く基地廃止/県外移転を約束して島民の心を弄んだ上に、
現実を突きつけられた途端に責務を放り出した総理大臣と政権党への怒り。

結局、よりこじれた状態の中、基地廃止どころか
米議会で事故公聴会が開かれたりしている”危険な”新型機が配備される...。

よく考えるとこの事件、オスプレイそのものが問題では無いですよね?

それこそ「危険だ欠陥だ」のオスプレイが、
全ての機材的な問題をクリアーしたら解決?
そうではないはず。

沖縄の人々の心を踏みにじる諸問題への、
怨み、怒り。それが問題。
でもその象徴にされてしまっているような...
悪魔の飛行機の様に。

ティルトローター機、数十年かけてやっと研究室から飛び立ったばかりの、
夢の飛行機なんです。
まだまだ育てて行く、ノウハウを積み重ねる必要が沢山残っている機材。

そういう段階で、運用自体に危険性を孕んでいる基地への「配備」は
問題があるでしょう。その怒りは当然かもしれない。
なめられているとも思う。

でも、
通常の飛行機の速度と航続距離を持ち、ヘリコプターと同じく
ホバリング、垂直離着陸できる...。
いずれ、機密性が薄れて来て、海上保安庁や各県警航空隊、自衛隊の救難部隊に
配備された時、その日本の国土、離島・僻地の多さと距離に対する
ローカルマッチングの良さといったらない。特に、沖縄県のような土地に。
ヘリの飛んで来れない距離に飛んで来て、ホバリングできて、
飛行機の速度で病院に搬送できる航空機。

その時に、機材に対して固有の悪感情・憎悪があったら、
それで悲劇が増幅したら、
とても悲しい。
機材そのものには、数十年にわたっての、
作り手達の想いがつまってるんだよなぁ。
きっと。
だから、悪魔の飛行機的なキャンペーンは張って欲しくなかった。

でも、解り易い「憎悪の対象」が必要なのかなぁ・・・。
配備を強行したのが問題で、機材の罪では無い、と思うのだけど。

少年の頃、bell-XV15、
オスプレイのほぼ原型となったティルトローター機を知った時、
「夢」を見たんです。
が、それが憎悪の対象として上陸したのが、
やはりとても悲しいです。


ちなみに、いつぞやツイッターで、制御工学の大学教授?を名乗る方が、
「左右のローターの同調を完全に取るなんてできっこない。
 制御のプロのオレが言ってんだ間違い無い。
 まちがいなく欠陥機だ!」
的なツイートをされてましたが、乗り物機械をやってれば当たり前ですけど、
”左右のローターは、シャフトで連結されて回ってます。”
でなきゃ同調なんかするわけない。そんなの当然、ん十年前の技術で
解決してます。
大変なのはもっと別んとこ。
まことしやかな便乗ご意見にはお気をつけを。

2012年9月16日日曜日

駅を、より”駅”にしませんか?

昨日、昼食に、いつもの駅近くのお店に行った時の事。

朝方に、バイクで伺う用事があったのですが、渋滞で思いの外時間がかかり、
”バイクで直接駅に向かおう!”
という事に。

何とか、ランチタイム終了の40分前には駅前エリアに着けました。
”余裕で間に合ったねぇ”
と思っていたら...。

バイクを停める場所が無い!

それから20分、狭い駅前エリア内を、大型バイク2台でうろうろグルグル。
結局、唯一あった、入り口ゲート式の駐車場に、2台並べて”車”の様に装い、
ある意味機械を騙して入場、なんとか間に合いました。

いやはや...。

思い返してみると、バイクに乗り始めた頃は、駅でバイクを停めるのに
困った事なんて無かったなぁ。
北海道では、終電後の駅に、バイク乗り、自転車乗り、徒歩旅のみんなが寄って来て、
安全にほっとしながら、一夜を過ごしたりしてましたね。

今は、4輪の駐車場こそ増えているものの、自転車は厄介者、
バイクなんか存在すら否定されている雰囲気だし、
終電がくればさっさとシャッターを降ろして、夜露をしのぐ場所もない。

”駅”には、その鉄道の乗降機能、その相乗効果を得る為の商店エリア、
だけではない本来機能があると思います。

”様々な移動...旅の「交差点」であり、旅の途中のほっとできる「屋根下」である事”

頑強な交通機関である鉄道、柔軟な公共交通であるバス・タクシーの基点に、
他の交通手段である車、バイク、自転車、徒歩も
「ちゃんと立ち寄れる”ステーション”である」
のは、理想でしかないでしょうか?

離れた場所から訪れ、通過するヒト・モノ・コトが、一同に会するから、
駅は面白かったし、ヒトが集まったんじゃないかなぁ。

土地面積あたりの売り上げは低いかもしれないけど、
しっかり”移動体”たちが集まれる場所を作れないものかなぁ。

結果、立ち寄る...頼るヒトがしっかり付くと思うんだけど。

などと、ぼんやり。

2012年4月21日土曜日

モノを作る、という時に。ココロの眼、ココロの耳

最近、すっかり友人となってもらってるご飯屋さんで事件が。
よくある雑誌のお店紹介の取材で、彼らのお店のコンセプトが
「外食にウンザリして始めたお店云々...」と紹介され、
複数回にわたる修正連絡が無視され発行されてしまいました。

彼らとお話する限りでは、むしろ外食は大好きで、
お店を始める前後に渡って、彼らの外食先の飲食店さんと、
とても仲良くおつきあいされているのですが...。

そこでのお付き合いにうっすら水を差す様なニュアンスを、
事前の修正要求を無視して発行...と言う事は当然、
あとでニュアンスの誤解で何か起きても知らん顔なんでしょう。

やれやれ。

最初に事件を回避できるチャンスを持っていたのは、
実際に取材をしたライターさん。
彼女の、人が伝えたい事のニュアンスを、プロとして正確に聴き取る
「ココロの耳」
がちゃんとしていれば、何も問題にはならなかった筈。

次にチャンスを持っていたのは、その雑誌の編集作業に携わる皆さん。
修正の要求が、どの段階で無視されたのか、外野には知る由も無いですが、
何れにせよ原稿から印刷に到るプロセスの中で無視されたのは事実。

いろいろ想像してしまいます。

私の稼業は、自動車の開発に、数多居る”並”の設計者として携わる事。
どこの職場でも同じかと思いますが、
「コストダウン」
が至上命題。標的は製品のみでなく、”開発作業”そのものにも及んでいます。

で、普通の経営者さんが考えるのは、
「無駄をなくせ」→「やり直しを無くせ」→「修正を無くせ」
で、現場はどう対応するかというと、多少の瑕疵なら
「変えないで進める」
ことに心血を注ぎ、全力を尽くすことになる。
”設計直行率”なんて評価単位を編み出して、
途中で修正の入る設計を糾弾までするんです。

出版業界さんも、大筋そうなのではないのかな?

自動車は、多くの規制や、安全に関する管理が厳しく、世に出る際には
一定の品質が確保されたカタチになるまで作り込まれます。
ですが...。
それですら、
作り手側が言うのも微妙なのですが、最近の自動車、いや工業製品全般、
いや、
商品として作り出される大半のモノ達が、
「考え抜かれ、作り込まれていない」
”磨き”の工程が無いんだろうなぁ。
と、感じるものばかりです。残念ながら。

”短時間でちゃっちゃと作り上げ、次々目先を変えたモノをどんどん作る”
”やり直しは罪”
となったら、試作や試し刷りを繰り返し”磨き上げる”なんて大罪。

納得いくまで作り込んで、作り手を鍛えるのはもっと無理。

そうやって作られるモノは、掛けた手間やコストに対して、
一見”効率よく”対価=お金を得ている様に見えるけど、
実はそんなモノに溢れているから
モノが売れない
んじゃないかな?って、漠然と感じています。

お金を作っているの?
作っているのは車、作っているのは伝える言葉。
お金は対価。
対価のみを得ようとして、何を作るのか見失っていないか?

やり直しが罪と言うなら、未経験者は育つチャンスが無くなってしまわない?

何十回、何千回、綺麗だけど成立していないカタチ、
成立するけどみっともないカタチに挟まれて七転八倒して、
空間に線を見出す
”ココロの眼”
を鍛える。 

文章にしてみたけど「違う」という、
取材対象本人のニュアンスとの差を徹底的に会話して,
人の想いを感じる
”ココロの耳”
を鍛えてゆく。

最初から、パウル・クレーの迷いの無いスケッチの線が引ける訳が無い。
最初から、谷川俊太郎のココロ震わす言葉が紡げる訳が無い。

と、思うんだけどなぁ。
(彼らは天の才もあるよね?という部分はこの際無視(笑))

こんなに世知辛くなる前。日程は厳守だけどやり直しは何度でもさせられて、
寝ないで(笑)鍛えていただいた身としては、
後を紡ぐ後輩達に、手の及ぶ僅かな範囲だけでも、
学ぶチャンスを作ってあげねば。

きっと、もう気づいている人たちは居る。
規模の大小ではなく、ココロの有無で分かれるところ。

ココロの眼、ココロの耳を育てるココロ。
ココロせねば。

2011年9月15日木曜日

【自分メモ】「稼ぐ事」と「仕事」

ちょっと憶えておこうと。
また新しく気づくまでの、個人的見解メモ。

「稼ぐ事」と、「仕事」。
重なっている割合の多い少ない、
だったんだ。

稼ぐ事、
は、
経済にまつわる内容に限定されるけど、

そのヒトで在るがゆえに為すべき仕事、
為した方が良い仕事、
は、
生きている時間のどこにでも在りえる。

もちろん稼ぐ事の中にもある。

まったく分かれているヒトもいる。

...前職を辞めて4ヶ月、長い夏休みに教わった事。

2011年5月28日土曜日

【雑想】ペンが飛んでた頃

自由だった小学生の頃の空想・妄想をいろいろ思い出しちゃいました。
ウチではよくペンが空飛んでましたねー(笑)。

上手に敵わぬは百も承知。
でも、お絵描き楽し♪私空間にて許されたし。
(って、さんざん晒してるか(笑))

2010年12月12日日曜日

逝くヒトを送るということ

今日、それぞれ友人のところで、
新しい命を抱えた門出の祝いと、大往生の訃報が同時に。
つい、”リレー”だなぁって思ってしまいます。

お疲れ様でした。お幸せに!

いつの間にか、結構な数の皆さんを、見送ってきたみたいです。
身内、親戚、友人、兄弟のようだった犬、猫、お世話になった方々...

以前は、訃報に接する度、落ち込むというか、
なにか身悶えするような悔しさと、喪失感がないまぜになって、
必ず、少しの間、
やりきれない気持ちを引きずって過ごしていました。

もっと何か話を聞けたはずだったんじゃないか
もっと会って、笑って過ごす時間が取れたんじゃないか
もっと何か...

罪悪感にもちょっと近い感覚。

でも、亡くなったヒトの人生の全てを、受け取ってみる事なんて
不可能なんですよね。今頃気づいたけど。
人生の器は、自分一人分しかないから、
他人様の人生全てを受け入れることはハナから無理な相談だったんです。
それを悔しがっていたような気がします。

だからこそ、そのヒトと自然に共有できた時間
会えた時間
話せた時間
伝え合えた事ども
などなど...それ以上を望むのではなく、
戴いたものを大事に、自分を培う宝物として、
心底感謝して別れる事にしました。

それでも、喪って空いてしまう空間の寂しさだけは、
どうしようも無いのですが。

2010年12月10日金曜日

THE BIG ISSUEのこと

”フラッシュリーディング”だったろうか。大量の情報を受け入れるのに、集中して、でも1ページ1秒程度で”見る”読み方。
そんな読み方でも、脳はイメージを記憶するので、強く必要になった時に、潜在的に取り出せる...らしい。

「積ん読」にまみれて久しいのだが、今日の帰りは久しぶりに資料を読まずに良くなったので、10/15版の「THE BIG ISSUE」を読んでいる。読みながらイメージしたのが、冒頭の”フラッシュ...”だ。
まずは、潜在意識に取り込んでおくのだ。と。

この雑誌は、ホームレスの自立支援を目的に刊行されており、原則として販売員登録したホームレスの皆さんからしか買えない。三鷹では、運良く販売員さんに出会えた時にしか買えなかったが、職場が新宿になり、晴れていれば大抵買える様になった。

つい買ってしまうのだ。「積ん読」にまみれているくせに。

面白いから。

巻頭の、芸能人インタビューなど、売らんかな(否定はしません。商売ですからね。)...のスポンサー配慮に溢れた紙面と違い、さっぱりした歯切れのいい記事が心地よい。

隠れたクリエイターの仕事ぶり、の連載や、テレビの裏話なども辛口で面白い。

その歯切れの良さは、この雑誌の中心記事となる「社会問題」テーマになると、むしろ凄みを伴ってくる。
思わず身構えてしまう「ホームレス」「貧困」、「格差社会」「子捨ての連鎖」「虐待」などなどのキーワード...。ときに想像を絶する事態を、淡々とすっぱり書いてしまう。

そこに、真実味と凄みを感じてしまうのだ。

迷路の様に入り組んで、シンプルには救いようの無い数々の事象たち。どれも、ちょいと手を出せばどうにか出来る問題じゃない。

気が滅入るハナシだけど、でも”おののけ!” ”おびえろ!” ”焦れ!”などとあおらず、
”淡々”と書かれると、取りあえず事実として、まずは知るだけ知っておこう、と、冷静に受け止められる。

まずは、潜在意識に格納しておこう、と。

”今すぐ、◯◯をしてください!!”というあおりは無い代わりに、じっくり潜在意識に浸透させて行く。充分読ませる紙面がそれを実現している。と、思う。
敬遠されがちな社会問題の、”フラッシュリーディング”を。

確信犯?

出版、文筆の世界には素人なので、笑止かもしれないですが...。
でも、きっとまた買う。(笑)

2010年10月17日日曜日

盛岡・櫻山のこと #sakurayama

櫻山の居酒屋”MASS”

”永年の、煙草のヤニと珈琲染みを、
毎日丁寧に磨きあげてきたバーのカウンター”
みたいな、盛岡の唯一無二の飲み&商店街、櫻山地区。

今、突然降って湧いたような騒動が持ち上がっています。

あまり、主義主張を広言するのは得意ではないのですが、
比較的、頻繁に遊びに行く県外者の視点として、
以下の文を、盛岡観光コンベンション協会様にメールさせて頂きました。

ちゃんとお読み願えた由、返信も頂いております。

現櫻山存続を頑張っておられる皆様に、微力ながら、
一県外者の意見も参考になれば幸いと思い、アップしてみます。

...気持ちよく飲みたいな〜!

以下本文

盛岡観光コンベンション協会 観光部 様

初めてお便り申し上げます。東京在住の【本名にて割愛】と申します。

先日来、盛岡・櫻山神社の参道の商店街エリアについて、
現状のお店を撤去し、
・藩政時代の勘定所を復元
・物産販売所を建設
する由、お伺いしております。

残念ながら、上記が実現した暁には、
わざわざ盛岡観光に足を運ぶ魅力は半減以下になる旨、
一言申し上げたくメールした次第です。

観光者の視点からの、盛岡の最大の魅力は、
・県外観光客に媚びない、地元目線の「生きた街」を感じること。
・地元自力で培って来た歴史を感じる街であること。
に尽きると思っており、
そのもっとも色濃く集まっているエリアが
櫻山界隈である事に間違いありません。

残念ながら、今回の計画では、
・既に失って3桁の年を経た勘定所を復元しても、
   継続維持した建物でもなく、何ら魅力が無い事。
・物産販売所なら、すぐ近く、中の橋の開放的な場所に”おでって”があり、
飲食については現状の”白龍”や”リーベ”など老舗店の方が、遥かに魅力的で、
代わりの無いものであること。
から、観光客には失うもの以外無い事を申し上げます。

むしろ、失われたままの南部公の銅像を復元されるとか、
大沢川原地区の、変わり失いつつある鍛冶店、馬具店近辺の
”町並み/風情の保存”などを断行される方が、
県外者としては、盛岡市政執行される皆さんに
喝采を申し上げたくなるものです。

盛岡の、他では失ってしまった”佳きもの”を、
変えずに、そっと、整え維持する、
素敵な施政をしていただけたら、幸いです。

県外者が余計な事とは思いますが、盛岡を好きで通うものからの視点を、
一言申し添えさせて頂きたく。
(文化庁の予算は国税ゆえ、無関係でもないですね!)

一読いただけましたら、貴重なお時間いただけた事に
誠に感謝申し上げる次第です。
ありがとうございました。

2010年8月10日火曜日

御巣鷹山のこと



群馬県上野村・慰霊の園。
1985年8月12日夕刻、JL123羽田発伊丹行きB747SR-JA8119
満席のジャンボジェットが墜落し、想像を絶する地獄を作り出した場所の麓です。
最後まで身元が判定できなかった、夥しい遺骨が、地元上野村の有志が供出した土地に、慰霊碑と共に眠っているそうです。

ずっと、気になっていた場所、25年目にして初めて参ってきました。

この事故が起きたのは、若干16歳、航空関係に進むことを夢見て進学して2年目の夏休み。
正直に言えば、身内に関係した者も無く、TVのこちらからの傍観者として観ていました。
でも、”夢と憧れの、カッコいい”飛行機、が作り出した
”地獄”
は、ココロの基礎の様な所に、しっかり刻み込まれたようです。

普段の生活の折々にまで、思い出す訳ではないですが、
地上とはいえ、人を乗せて走る製品に関わっているシゴト。
”安全か?”
という問いに直面する度、必ず頭をよぎります。

未だ、原因については、様々な推測があり、明確な真相は判っていないようです。
それによる、いろいろな未解決問題もあるようですが...。
技術者として受け止めるべきなのは、
幾通りもの推測が成り立つ=その数だけの、事故の可能性が潜んでいたということ。
そのどれか、あるいは複数が具現化すると、”地獄”を生み出すということ。
そして、搭乗者以外の犠牲も生み出すということ。
家族、地上クルー、スタッフ、...。

最期まで諦めずにコントロールを試み続けたクルーのこと。
他にも...学ぶべきことを多く遺してくれています。

若干16歳の秋、クラスメートの写真部員が羽田で撮り溜めていた写真の中に、
機体番号JA8119
を見つけ、学祭展示が終わったあと、全紙サイズに伸ばされたその写真を引き取って、部屋に飾りました。”飛行機屋になるなら、忘れちゃいけない”と思ったので。

結局、今は飛行機屋ではなく、間もなく直接の技術者ですら無くなりそうですが、
刻み込まれた
”JL123のこと”
は、忘れることは無さそうです。

ここで見る青空は、言葉通り目に沁みます。

※当時の年齢に記憶違いがあったので訂正しました。歳、とったんですねー(自分)...。

2010年3月17日水曜日

さよならの年

前々から、風の便りには聞いていたけど、
今夜、ふと気になって調べてみた。

この3月、母校の小学校と高専が、同時に姿を消すことに。

高専は、もう卒業当時の姿は全て無くなっていて、
新校舎・新校名になっているけど、
今年、最後の”航空”の後輩を送り出す。

小学校は、廃校して解体撤去され、都立公園になるそうな。

いろいろ、思い出しますね。

いろいろ・・・

ありがとうございました。

両校に、感謝しています。


2010年3月14日日曜日

三鷹・星と森と絵本の家 庭作りプロジェクト

雲ひとつ無い、春の初めの三鷹・国立天文台。
レインワールド・中山さんのソーラークッカーが、
音も立てず(当たり前ですが)に、お湯をチンチンと沸かしています。
このお湯でいれた”香味焙煎”、やけに美味しかったな。

星と森と絵本の家・庭作りプロジェクト”ボランティアに、また参加してきました。
昨日〜今日は、池(ビオトープ)つくりの佳境だったようで。
今日やっと、池にまつわる構想を聞いたのですが、
”雨水を溜めて、太陽光発電の電力で汲み上げ〜水量管理する”
という、先進的システムを、
自由参加ボランティア主体で作っていたのですね。

昨日は、ソーラーポンプの設置や、配管、配線だったのかな。
休日出勤の為不参加にて、詳細知らず・・・むむ。

今日は、池本体の施工。
やはり手作りが基本。手掘りして、手で(石でもって)突き固め、
脚で練った粘土を塗り付け・・・。
とにかく、今日は小学生が働くはたらく!
特に女子!
自分の胸の高さもあるスコップを自在に振り回し、
粘土貼付けの仕上げなんかは、
ちょっとした左官並みじゃないのか?
と思うくらい。

と思って振り向くと、中1ヨシダ隊長が、
これまたオトナ顔負けに、ソーラーパネルの基台を塗装していたり。

しかも、彼らは常に、楽しげに真剣に働くのですね。
勉強になります。
元気、もらいました!
・・・筋肉痛と引き換えですが・・・不惑だし(笑)。
体力、つけよ。



2010年2月28日日曜日

ちりも積もれば。

昨日、ラジオで、東急ハンズのハナシを聞いてました。
”誰もが欲しがるというニーズではなく、
少数の人たちの、少しのニーズが集まって、30年続いてきたお店”
なのだそうです。
なので、メガヒットを狙った品揃えは考えてない。
個人の、”えっ?””普通そんな・・・”というニーズに応えるのが、
彼らの存在意義になっている、と考えているそうです。

例えば、
”食材は切れるけど、子供の手は切れないナイフは無いですか?”
肉が切れるんだから、当然手も切れるでしょ?ありえない!
とは考えず、そのニーズを実現するのは?という発想で、
仕入れ、というより商品開発してしまう。

必ずしも、ニーズに応えられるわけでは無いらしいけど、
先ずはアクションしてみるそうです。
特別、社内ルールがある訳でも無いそうですが。

”屋上で星を見る為に、ヘリコプターのコックピットが欲しい・・・”
なんてリクエストもあったそうで。

小さいニーズでも、”欲しい人は必ず複数いる”んだとか。
だから、ちゃんとビジネスにはなる。

メジャー、マス、マーケットシェア、そしてプライスリーダー・・・
なんかを狙わなくても、
個々の小さいニーズに丁寧に応対し、それを集める事で、
立派にやってる大きな企業があるんだ。

ということに、なんだか安心しました。




2010年2月27日土曜日

井戸掘りからチカぱん・・・いっぱい人と話した日 


”手掘りの井戸掘り”@三鷹・星と森と絵本の家/庭作りプロジェクトに参加してきました。
きっかけは、このプロジェクトに参画されている、レインワールドの中山さんと、
twitterでの会話から・・・。気づいたら、はじめて、”ネットのみ”で知り合った方ですね。
リトスタで知り合った飲み仲間、@kazemimiさんが先に参加し、既に”井戸掘り副隊長”に。
ちなみに隊長は若干中1・ヨシダ隊長。キビシくルールを仕込まれました(笑)。
・・・ぐるぐる、掘削ビットをまわし(バターになりそう(笑))ながら、いろんな話を。
中学生の新鮮な好奇心、労働ハイになりながらの馬鹿話。
残念ながら、実家に行く予定があったので、午前中で撤収。
中山さんに、江川亭の油麺をごちそうになったのですが、店が混んでて席が分かれ、
肝心の中山さんとあまりお話できなかったのが残念。次回また。

午後は、実家で父母とお茶。予定などを確認して、大泉学園の姉に届け物。

着くと同時に姉が帰宅、偶然に驚きながら、更に同時にチカぱんの連絡が!

三鷹に戻り、チカぱんを受け取りにT夫妻宅にお邪魔。
毎度図々しく、パンとコーヒーをいただいて、調子に乗って話を聞いていただいていると、
同じくリトスタ常連のyuriさんが。
顔は何度か会わせてましたが、初めてお話を。面白いです!
って、長居していたら、今度はこいけ菓子店のケイコさんが!
久しぶりにお店以外でお話を。更に長い長居を。
今にして思えば、ちょっとお疲れ気味だったT夫妻には、ご迷惑だったかな。

リトスタが月イチ休みの日曜日、やけにリトスタの常連さんと絡んだ一日でした。

帰宅して、早速チカぱんの、”つぶつぶ三兄弟”をいただきました!

2010年1月16日土曜日

金額じゃない予算審議

"GDP以外の豊かさの指標は?"
というtwitter 上の問いかけに、
反応しようとしたら、
またつい飛躍してしまい、
ズレたリプライを(^^;。

"豊かさ"・・・金じゃないよね?
でも、昨今は何でも金額に置換る。
一見、判りやすく見えるけど、
金の価値なんて、世間の気分で
簡単に変わってしまう。

そんなモノに頼って、
いろんな事を判断してしまうから、
豊かさに、愚かさに気づけない、
のでは、と考えた。

いっそ、今金額で議論されている、
"予算"なんてモノを、
全て"実物の量"で計上したら
どうだろう?

例えば、ダム建設。
"伐採木 何万トン、削土 何百万トン"
"コンクリート 何百万トン"
"道路直し アスファルト何百万トン"
"建機何百機 燃料何千トン"
・・・。

"燃料何百トンは、見積りが甘い!"
とか、
"A社なら、掘削土が何百トン減る"
なんて議論にして。

一声"何兆円"て言われるより、
生々しく感じるのです。
本当にそれだけの物が変貌する。

ナニゴトかに"必要"なのは、
"量"
であって、カネではないのだから、
壊して作るその"量"を前に、
本当に要るの?
が見えてくる・・・かな、と。

んで、公式な議論は全て
"量"で行って決める。
カネで枠どりはしないで、
その"量"だけのカネがなければ、
でも必要なのなら時間をかける。
とか。

んで、"カネが従"なコンセンサスが
出来たとき、金額ではない
実体に近いイメージが。

その時、何かが変わる!と、
ま、いいな。
夢想ですが。
どうだろう?

2010年1月13日水曜日

造ったからには、しっかり大事に使いましょう。

この週末、東京湾アクアラインの”海ほたる”まで、バイクの充電がてら行ってきました。
すごい景色。
横浜ランドマークタワー、ベイブリッジ、羽田空港、
六本木ヒルズ、幕張新都心、
姉ケ崎発電所、君津製鉄所、扇島・・・
東京湾を囲む、メガコンストラクションが一目で見渡せます。
そして、海ほたる自身が、完全な人工島。

この、巨大で、徹底的に人工物で埋め尽くした景色に思いを馳せたら、
”だって、造っちゃったんだもんね”って。
”だったら、しっかり使お、大事に使おうよ!”
って、思ってしまいました。

きっと、海にも、このコンクリートを生んだ山にも、
おっきなインパクトがあったはず。
だったら、しっかり、大事に、使い倒してあげないと。
”別に造った方が安いから”とか、
”経済的にどうたら、こうたら”
なんて理屈で、
無駄にして欲しくない。

お金なんて、
世の中の気分で価値がどんどん変わってしまうけど、
コンクリート1トンの石灰は、1トンの石灰の価値。
変わらない。
お金ではなく、そのモノの、素材への責任を感じて、
モノを造る。

そうしたら、”必要なもの”は、インパクトが大きくても、
しっかり、大事に造る。使う。
あんまり必要じゃないもの、は、
再生可能な、インパクトの少ないもの、木や革や、紙やなんかで造る。
なんてのが、いいのかも。

必要もない人に、必要だと言って、無理に売りつけて、
金儲けするモノ造りは、そろそろ休憩に・・・?

”マスプロダクション”のモノツクリで、
メシをいただいているので、自己矛盾している・・・かな?