2015年4月5日日曜日

【本】「それをお金で買いますか 市場主義の限界」マイケル・サンデル 著 鬼澤忍訳 ハヤカワ文庫刊

トイレを借りに、よく行く最寄駅近くの書店に寄った際、
歯医者の予約までの時間つぶしに...と店内をうろついていて目に付いた本。

以前から、何事にも全て金銭的「価格」をつけて判断することに
辟易とし懐疑的でいるのですが、
”あの「これからの正義」のサンデル教授は如何様に?”
と思い、”面倒臭そうだなぁ”と思いつつも購入してしまいました。

「これからの正義の話をしよう」
実は、ハードカバーで購入したものの、読了してません。...多分。
”読み切ったぁ!”という記憶がない(苦笑)。

あの本のサンデル教授の印象は、殊更に...
-攻撃的な「透明」
とでも言うのかな?
対立する命題に対して、両極端、真に極端な事象をぶつけあい
「それでもどちらかが”正義”と断言できる?」
という問いかけの連続で、命題も重くて”ぐったり”してしまいました。
...あの本の結論はどうだったのだろう?

この本も、基本的に「攻撃的な中立透明」な教授の”視点”、
思考の拡大範囲とバランスは変わっていない様に感じます。
ただ、
「立ち位置」
は鮮明で、危機感に満ちていたようにも。

一例、
級数的に拡大を続ける「市場原理主義」の先鋒、経済学者の弁
「(例えば献血の様な、倫理的・利他的活動について)市場原理の導入、
 金銭的な需給を募り価格をつけて流通=市場を作ることで、
 【希少資源である倫理・利他的行動の無駄遣いを減らせる】
 事が経済学者の世の中への貢献...」

に対しての、サンデル教授の弁
「...我々の愛や善意の容量は、使ったからといって減るものではなく
 実践することによって拡大するという可能性は無視されているのだ。
 愛し合う二人について考えてみよう。
 愛を蓄えておきたいと思い、生涯にわたって互いにほとんどなにも
 求めないとしたら、二人はうまくいくだろうか?...」

教授の、アリストテレスからの引用
「我々は、正しく行動することによって正しくなる。
 節度を持って行動することで節度を身につける。
 勇敢に行動することで勇敢になれる。」

加速して止まない”なんでも売り物に”社会と対峙する際の
二つのキーになる視点を教わりました。
・不平等について
・腐敗について
ま、教授ほどに徹底した”哲学的検証”はできないまでも、
どんどん入り込んでくる
”金銭的価値判断が全てを凌駕する”
ことに、
”落ち着いて懐疑的でいたい”
と考えているので、良い「考え方の種」を得たと思います。

ただ、
...読み返して理解をもうちょっと深めたいけど、
やっぱりちょっと面倒だなぁ^^;;

http://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/90419.html

2014年12月3日水曜日

【本】「自分」の壁 養老孟司著 新潮新書刊

「”自分探し”なんてやめなさい」
お、自分も全く同じ意見を...
と思って手に取ってしまいました。

同じ...?生意気な(笑)。

いつぞやブームになった「バカの壁」の、養老先生の本。

「バカの...」は、流行ったが故に、
生来の天邪鬼と、タイトルの居心地の悪さから
読んでいなかったのですが、今回はサブタイトルが気に入って。

おこがましい言い方ですが、考え方の指向が近いのか
私が普段思っている事をより深く、
鮮明に説明されてしまいました。

例えば、個性について。
「...「本当の自分」は、徹底的に争ったあとにも残る。
 むしろ、そういう過程を経ないと見えてこないという面がある。
 最初から発見できるものでも、発揮できるものでもありません。」
「...徹底的に真似する事から個性は生まれるのです。」

...まとめられてしまった!
ま、それを期待したから買った、のでしょうけどね。
「自分」(苦笑)。

他に、政治、エネルギー問題や、SNSなど、
割に普段ホットに反応してる事象にも話は及ぶのですが、
ここではかなり「冷水」を浴びせられます。

一見冷めている...。

のですが、養老先生の方法論の方が、
実はもっと過激だという事に気付きました。
これは...。

ちょっと間をおいて、再読しようと思います。

http://www.shinchosha.co.jp/book/610576/



2014年10月12日日曜日

【本】O介 大鋸一正 著 河出書房新社刊

やっと落ち着いて読める時間が得られたので、
以前購入してあった本書を読みました。

忙しさに流され、怠け積まれる高さを増すばかりの本達を
最近意識して読み進める様にしていて、割に”読んでいる時間”が増えて
気づかされた事があります。

どうあれ小説は、文字というツールのみで
読み手にその物語世界の情景を想起させねばならないのですが、
立ち上がってくる世界の距離感に、いろいろの違いがあるな、と。

TVや映画を観る様に「眺める」距離感で、イメージが普遍的でぶれないモノ、
情景の中に臨場して、視界が内部からのものに取り込まれるもの、
そして、引き込まれて物語の関係者の距離に置かれてしまうもの。

それは優劣や凄い、そうでない、というものではなく、
なんか、”そういうもの”。
(↑こういう所がちゃんと表現できるのがプロなんだろうなぁ(笑))

大鋸さんの小説は、否応も無く
”関係者の距離感”に連れて行かれます。

関係者の距離感...現実の世界の様に、当事者=読者毎に
見えてくる物が異なる世界、だろうな、と。

その距離感で、
「存在」は相対性で築かれているんだよ?
という”危うさ”を
めまぐるしく立ち位置を変えながら見せられて
ちょっと軽く目眩がするような。

そんな読後感でした。