2010年12月12日日曜日

逝くヒトを送るということ

今日、それぞれ友人のところで、
新しい命を抱えた門出の祝いと、大往生の訃報が同時に。
つい、”リレー”だなぁって思ってしまいます。

お疲れ様でした。お幸せに!

いつの間にか、結構な数の皆さんを、見送ってきたみたいです。
身内、親戚、友人、兄弟のようだった犬、猫、お世話になった方々...

以前は、訃報に接する度、落ち込むというか、
なにか身悶えするような悔しさと、喪失感がないまぜになって、
必ず、少しの間、
やりきれない気持ちを引きずって過ごしていました。

もっと何か話を聞けたはずだったんじゃないか
もっと会って、笑って過ごす時間が取れたんじゃないか
もっと何か...

罪悪感にもちょっと近い感覚。

でも、亡くなったヒトの人生の全てを、受け取ってみる事なんて
不可能なんですよね。今頃気づいたけど。
人生の器は、自分一人分しかないから、
他人様の人生全てを受け入れることはハナから無理な相談だったんです。
それを悔しがっていたような気がします。

だからこそ、そのヒトと自然に共有できた時間
会えた時間
話せた時間
伝え合えた事ども
などなど...それ以上を望むのではなく、
戴いたものを大事に、自分を培う宝物として、
心底感謝して別れる事にしました。

それでも、喪って空いてしまう空間の寂しさだけは、
どうしようも無いのですが。

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