2010年5月22日土曜日

#mex6 衣川の柵のこと


百聞は一見に如かず。

高橋克彦の”火炎”、”炎立つ”で、ストーリーの起点になった、
”衣川の柵”跡。
阿弖流為が、貞任と経清が、義家が駆けた場所は、
防風林で区切られた、丁寧な造りの畠が連なる
小さな景色でした。

ここが、倭と蝦夷の最前線だった場所。

そして、写真で見上げている先、
衣川を挟んだ南側、すぐ先の丘の上が、平泉・中尊寺。

この両地が、目と鼻の先、歩いたって小一時間の距離だとは!
来てみるまで全然気づきませんでした。

中尊寺は、奥州藤原氏の開祖、清衡が、最初に設けた御殿。
以後、都をも凌ぐと言われた平泉を築き上げることになる。
その起点が、やはり衣川だった事に、
清衡の思いを(勝手に(笑))感じてしまいました。

最後は厨川まで追いつめられ、
滅ぼされた蝦夷の雄、安倍貞任の甥、清衡。
安倍氏が居館を構え、栄華を誇ったのも衣川の館。
遥かな先祖、阿弖流為が戦いを初めた場所。
阿弖流為達の山越えの奇襲の舞台、栗駒を望む場所。

<中尊寺 本殿跡>

中尊寺から、夕陽に暮れてゆく衣川を眺め降ろして、
清衡は何を想ったんだろうか...


安倍貞任の館跡。
まさにそこにお住まいの方が、淡々と、でも誇りを滲ませて、
安倍〜奥州藤原の略史を語ってくれました。

平泉は、まさに三春、花真っ盛り。


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