2015年5月17日日曜日

【本】神の国に殉ず(上中下)〜小説 東条英機と米内光政 阿部牧郎著 祥伝社刊

両親が戦中に少年期だったせいか、どうも私は
同年代の”普通”よりは
戦争(第二次世界大戦...大東亜戦争、かな?)が身近な様です。

いつもの盛岡の書店で、ちいさなポップのついたこの本に
つい引き込まれ、バイクの重量を増やして帰途につきました(笑)。

戦中を語る際に、当たり前の様に現れる二人なのですが、
彼らの足跡、世間の評の根拠について
”実は、知りたかった自分”
に、書店の平置き台の隅っこが気づかせてくれたので。

こういう時、”やっぱネットより書店”を感じますね(笑)。

さて、
明治後期の戦線拡大期から昭和20年の敗戦・旧軍解体までを
主力...終盤はトップの軍人として生きた二人。


最悪の国家総力戦を積極的な戦争指導者として生き、
対手国に断罪され処刑により生を閉じた東條。

冷静な自身の現実視点と暴走する国家の狭間で翻弄され、
でも結局、降伏と軍解体の最後の幕引きを背負った米内。

”小説”ゆえ、作者の脚色は含まれる前提ですが、
むしろそれ故に非常にわかり易く二人の人生を眺められました。

ついでに、
時系列、因果の順列として何が起きていたのかが非常にわかりにくい
”明治後期から昭和20年の終戦までに起きた事柄”
についても、
二人の人生の時系列に沿って記述されているおかげで
やっとある程度の理解ができました。

で、読後(直後)の、今現在の感想は、
”東條をトップにいただいたあの時代と、結局はそんなに変わっていない”
です。

東條は秀才で努力の人。
自身は東京で生まれ育ちながら、
輪をかけて秀才の東條の父が、戊辰戦争の賊軍”盛岡藩”の出身ゆえ
薩長閥優遇の明治陸軍で陽の目を見ず、
やっと実戦参加しても失敗回復の機会を与えられぬまま
不遇をかこつのを目の当たりにします。
この為
”隙を見せない”
”努力之権威”を座右の銘とし、
「組織の論理の中での」トップを目指し、
いじらしいまでの努力と運動をして這い上がっていきます。

他方、米内も努力の人。
貧しく、借金取りに日参されるような少年期を過ごしながらも
盛岡中学(現盛岡一高)を卒業。
家計に負担なくより”上”を目指せる難関「海軍兵学校」(士官学校)に合格、
海軍士官の道を歩みます。
ですが米内も、賊軍盛岡藩士の出だから?なのか、
主力艦から外され補助艦艇勤務に回されたり、閑職に任ぜられたり。
ですが、彼の場合、東條のような
「組織内の評価を得る為の不断の努力、隙を見せない緊張の日々」
を選ぶのではなく、
「与えられた(不人気な)任務にも腐らず、むしろ学び楽しむ」
「閑職を利用しての俗世間(文学、社会)、世界の知見や語学の吸収」
をして過ごします。

そこから培われていった人生とは...。
是非本書を(笑)。

戦後、すべて戦中の全体主義的な”異常なコトモノ”は
「東條に騙された」
そして
「国際的に常識のある米内が幕引きに居て良かった」
という表現に多々出会います。

それは、ある意味その通りなのですが、
開戦直前に実際に民衆がしたことは
日米開戦回避を目指した米内内閣を僅か数ヶ月で辞職に追い込み、
好戦的な東條内閣を喝采で迎えたのでした。

外交には相手がおり、
その相手目線からの冷静な”苦い”現実を言う米内を嫌い、
自分目線で都合よく考えた”甘く美味しい”東條ビジョン
で戦争に突っ込んだのは
民衆自身。

現在でも、そのメンタリティはそんなに変わっていない気がします。

より世間一般や物理的な普遍性に基づいての物言いは
”青臭い”
”ま、正論はそうだろうけど”
と聞き流され、果ては疎まれ、
偏った「組織内での常識」の方が優先されるシーンを、
日本では多々見ると思うのですが、如何でしょうか?

米内も、時に組織の理屈に迎合した判断を下していたりしています。
ガチガチのレジスタンスではない。
だからこそ、発言力を失うことなく幕引きまで
イニシアチブを発揮できたと思われます。
「迎合せず、でも”大人”であり続ける」
簡単には飲み込める大きさではありませんが、
米内さんの人生には、学びが多いと感じます。

...読む気合が復活したら、読み返してみるかな...(無理かなぁ^^;;)。

戦後70年。
首相談話が出る前に、読んでおいて良い本かも知れません。
似てますよ...。

http://www.s-book.net/plsql/slib_detail?isbn=9784396340520

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