2016年3月13日日曜日

そういえば、自分も折れかけた事がありました。(ツィート再録)

※自分のtwitterアップのまとめです。
   振り返ると、自分のこのあたりの事をまとめてみた事が無かったので、
   自分の為にまとめました。
   ...くどいと思います。ツィートまま、なので読みづらいと思います。
   事前に一応。ツィートで”お目汚し”だった皆様には陳謝も...。

もっとも思い通りにならないもの...自分の心の動きだよなぁ。
初めて就職した会社を辞めた時、
実はほとんど心が折れかけていたのだ...って、
後から気づいたのを、
もうすっかり忘れていたけど思い出した。
恥ずかしいけど、辞めた直後、泣きまくってたんだった。

本当に自分がやりたい事はこれじゃなかった”
から、
「年齢制限にまだ間に合うから、やりたい事に挑戦するので辞めさせてください」
って言って辞めた。
それも真実だったし、
実際にその後7か月かけて本気でチャレンジもした。
最終試験で落ちたけど(苦笑)。
でも、逃げたのも事実。
当時の自分は、「職に就く」事に対して消費者的だったと思う。
”選んで、買う”に近い感覚。
職には”選ばれる”ものなのに、
実際就職活動中に落ちてすらいるのに、

本質的には気づいていない。
だから
「選ばれたら、責を果たすために自分の想像力を駆使して自助努力する」
のが必須なんて思いもよらない。

スキル要求の強い現場系の職場で、
専門学校や公的訓練を経て就職する人が多い中、
概念的教育主体の学校から新卒で入社...
圧倒的に”使えない”新人なのに、
「自助努力ってどうすれば良い?」
どころか必要性にすら気づいてない。
当然、惨憺たる使えない新入社員の出来上がり。
結局やめて、心の線が切れかけてた...

その時救われたのは、
半分は辞める言い訳だった気もするけど
「チャレンジのための受験する」願書を出しておいた
=受験に迫られる場に身を置いた
のと、
実家とはいえ自身の生活の為バイトをしたこと。
特にこのバイト先に救われた。
やっちゃ場のオッサン達に(笑)

ぬくぬく育った世間知らずの”使えない”ガキだった...。
ただ、そのバイトをする時に
”バイトではあるけど、今時点の俺の職はこれだから、プライド持ってやる”
って思った気がする。
し、毎朝短時間だけど真剣にやった。
荷揚げの仕事にマニュアルなんか無い。
買付人が買った荷に挟んである札を探してトラックまで運んで積む。
でも時間が無い(開店前に届いてなきゃいけない)、
市場は広く、
荷は混み合っていて札も見つけづらい、
奥にあると順番に出すまでフォークリフト渋滞になる...
「時間内に積み終われ」だけで広い市場に放り出される。
”積み終わりませんでした〜”で済ませることもできる。
バイトだから。
でも、真剣に段取り考え、
買付人をどこで捕まえて荷の場所と荷姿の見当をつけて、
積出し場所を先取りして...って、
定時に出荷する”責任”の一端を担おうとしてたみたい。

こっちが真剣に
”一緒に責任背負う”
姿になってくると、
周囲のオッサン達の応対が俄然変わった。
近い目線での会話、段取りの呼吸の合い方(合わせてくれる)、
モノくれる、ヤバい話を持ってくる...(笑)。
そして、
お互いの仕事を手伝いあってくれる。
当時、こんな言葉で理解してた訳じゃないけど。

それまでの人生が、如何に均質な人々ばかりで、ぬくぬくだったか...
というバリエーション豊かすぎるオッサン達のトンデモ話
などを聞いていてビビっていない自分。
単純に溶け込んだ訳ではなく、自分の中の回路のどこかが切り替わった感覚。
まだまだ未熟者の失敗は続くけど、泣いてた自分は消えた。

甘っちょろい...そう、甘っちょろいガキだったのね。
そして軽く鬱になりかけ、たまたま救われた。
働くことは、
”社員の立場を買いにいく”
のではなく、
”その場の責を担いに行く”
事なのだ、を言葉ではなく理解する
=回路切り替え
=自分の変化の瞬間だったのかも。
それまで”安全”だった
「消費者ポジション」
という生きる方法論では生きられない世界に直面して、
それしか知らないのにその方法を「捨てて」歩む瞬間。
消費者のまま二十歳くらいまで生きちゃうと、
こんなにも苦しい生まれ直しになるのか、ってお話。
ぬくぬくして来てない人には”けっ!”って話。

ちょっと戦慄しているのは、すでに私の世代で
”責を負うことを知らずに成人”
する人間が大量生産されていただろう事。


不適合な職場で悩んだりせず、
むしろ好条件で入社しそのまますくすく守られて、
今や管理職に在る人間が大量に居る筈な事。

”責を負う事”
を見つめずに歳を重ねても、
その時々に負うべき責務の変化や視野はおそらく育たず、
結果全ては
「出来合いを買って揃える」
方法論しか持っていない危険性が高い。
これはそのまま
「買ったその時期待に沿わなければ、放置か使い捨て」
以外の方法論を知らない筈。
年嵩で経験者である時点で、立場がどうあろうと
”指導し育てる”
責務を背負う。
だが
”責務って?”
という人間が、そこに気づける訳もなく、
真摯に向き合うなどありえない事になる。

だが、そこが皆無の上長の下にも、
未経験の若者達は着任する。

結果、彼らは
意義も伝えずただ”手”として若者を振り回し、
ステップを踏ませる事なくただ多忙なだけの理由で
スキルに適合しない業務に放り込み、
結果が満足でないと捨てる
”石を積まされて積み上がったら崩される”
賽の河原の拷問に陥れる。←ナチスの拷問実験そのもの。

逃げなければいずれ精神が..

この場合、
”消費者マインド”
の若者の方が、すこしは耐性があるかもしれない。

むしろちゃんと責を負い、
学ぼうとするマインドを持った若者は混乱させられ、破壊される。
ただ、”責務”を理解しない組織がまともな成果を出し続けることは不可能。
過去の遺産を食い潰して終わるだけの筈。
生まないから。

そことは、きっと全力で戦わなければならないのだなぁ。
...そしてこの消費者マインドの大量生産、止められらないものかなぁ。

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