2009年12月10日木曜日

仕事の精度・仕事の誠度

●"仕事の効率化を図りなさい"

なんて指示が、恒常的に出るようになって久しいこの頃。

限られた予算・人員・時間の中で、如何に、

すべてが潤沢だった頃のように

多くのアウトプットをするか。

結局、

"無駄な仕事はしない"、"最小の手間で最大の刈り取り"

なんてアプローチになり、いかに

”作業を減らす”か、”時間をかけない”か、

に腐心することになる。

しかし・・・。

●仕事で、もっとも時間と手間のかかっている部分は、

”思い違いでトラブりかけた関係の修復”とか、

”態度の硬化した相手の説得”とか、

”意図伝達もれした相手へのフォローアップ”とか・・・

コミュニケーションに関わる部分に思えてならない。

”作業を減らす・時間をかけない”が、

”手間を抜く・ココロを配らない”になっていないか?

●仕事は一人ではでき無いもの。

同僚、他部署、取引先、お客様、エトセトラ。

時間も、リソーセスも限られている今こそ、

より”心を配り”、”気を遣い”、

相手を想って(想像力を絞って)するのが本当のシゴトでは・・・。

●”後行程に未完の仕事、不備なシゴトを送らない”

これが、現在の、我が職場で定義された業務の正義。

極めて正しい。

しかし、現実は、

”些細な不備で前行程を責め立てる主義”、の、

口実になりつつある気配。

工程間で会話も無く、送られてきた業務だけ観て、責める理由を探し出す。

”責任追求”、”釈明会議”、”対策会議”、”フォロー会議”・・・。

”あれ、なんでXXなってるの?”、”ごめん!△△だった!すぐ直す!”

1分で済むのに。

結果に到達する時間、クオリティにかけられる余力。本当に”シゴトシテル”のは・・・?


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