2011年8月2日火曜日

陸前高田〜牡鹿/石巻訪問20110723〜24 #1

前回の訪問が、ちょうど震災2ヶ月目の5/11。
以後、こちらで就職活動をしつつ、
機会あるごとに、支援のお手伝いをさせていただいたりしてました。

そんなお手伝い先のひとつ、横須賀のゴルフショップさんから、
「そろそろ最後の訪問になるかもしれないけど、一緒に行く?」
とお誘いを受け、4ヶ月半目の被災地を訪問してきました。
訪問全写真はこちらへ。

いつものお手伝い、沼津の干物工場から支援物資の干物を横須賀に運び、
そのまま他の参加者を拾い、一路東北へ。
陸前高田〜海岸線沿いに北上まで南下、石巻に出て、女川。
牡鹿先端近くの新山浜で一泊して、牡鹿狐崎でお食事会。
途中石巻で物資搬入、牡鹿の避難者さんに物資お届けも。
沼津往復も入れると1800km程になりました。
深夜、常磐道〜磐越道〜東北道と走り続け、早朝、陸前高田に。

陸前高田市街
積み重なっていた、生々しい瓦礫は撤去され、広漠とした空間に変わっていました。
人の気配はありません。
ここから、海岸沿いに南下しました。
気仙沼・内部捜索済み、の”ok”マーク...
気仙沼市街・オイルフェンスのリール
まだまだ、瓦礫の撤去が進んでいない地域が目につきます。
ただ、全壊地域...居住不能、とされた地域については優先順位を下げているのも事実だそうです。
階上地区・気仙沼向洋高校
いまだ地盤は海に向かって伸びかつ沈みつづけていて、
すぐ壊れる仮復旧した物流の命綱...主要道路の補強/補修や、
雨期/夏を迎えての衛生対応、仮設住宅の建設などなど。
南三陸・歌津地区
自治体の口座はすでに空っぽな時期。加えて来期の税収は見込めない...。
市町村の中心部が丸ごと無人になり、復旧復興の道筋...なにをどうすれば?
現場の行政担当には、限界がきているとの話にも説得力があります。

現行法の元では、津波被災範囲に建築許可は出せないけど、といって土地も無く。
法を変える権限をお持ちの方々は、いまだ...。
南三陸・志津川付近 中心街
...無人。
とにかく、あまりにも広く、傷が深い...。
南三陸・陸前戸倉 モアイ像のある駐車場

2007年5月の、モアイ像の勇姿
北上川河口まで南下、新北上大橋が渡れないので、
最後まで孤立していたという雄勝地区には入れないまま、
一旦石巻に向かいます。(続)
北上地区 吉浜小学校
14:46で時計の針が止まっています。

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