2011年8月2日火曜日

陸前高田〜牡鹿/石巻訪問20110723〜24 #2

(続き)
引き続き、今回の訪問全写真はこちら。

石巻に。
石巻赤十字病院
数年前に、市街の中心だった沿岸地区から、現在の場所へ。
「不便になった」と、地域から大不評だったそうですが、
以前の場所は津波で壊滅。石巻〜北上川以南で唯一の医療拠点に。
何が幸いするか...
石巻 門脇?住宅街
海岸線から数キロ内陸の、東京のイメージだと多摩地区のような、
ベッドタウンな住宅街。まさか津波が...との思いと、
居住人口の多さで被害が大きかったそうです。
続いて、女川。
NHKスペシャルでも紹介された、液状化+津波でひっくり返ったビル達。
女川市街
海沿いで、駅の近くにコンビニがあって、
バイクで来た時にトイレを借りて...全く判りません。
ビルの、高い階に車が刺さっていて、
しかも窓が曇ってて...
...どうにも近づけず、機材も無く...
様々な悲劇が繰り広げられていたそうです。
再び石巻に戻り、横須賀で廃業された食材/飲食店の業務用機材を、
復興町づくりの会の方に搬入しました。
”石巻 川開き祭り”で早速使います!」
と喜んでもらいました。役にたっていたらいいな。

宿に向かう途中、寄った石巻・渡波地区のイオンの駐車場で、通りすがりのオジサンが、
「...なんも無(ね)。裸一貫だ。裸...」

宿は、奇跡的?に、家屋倒壊も人身被害も無かった、牡鹿半島の新山浜に。
気っ風の良い女将さんと、手伝いのお母さんが素敵で、
はち切れそうな料理と生ビールで大歓待を受けました。
新山浜
地元の方の発音だと”ニヤマ”に聞こえます。
宿の裏手に可愛い祠が。
しかし、お手伝いのお母さん、実は別の浜の方で、津波に流されたそうです。
乳幼児と小学生の孫二人を両腕に掴まらせて...。
途中、小学生の孫がはぐれて流れしまい、もう一人の孫と必死で角材に掴まったら、
角材が運良く無事な家に回り込んで、九死に一生を得たそうです。
新山浜の社
丁度ここの高さまで津波が来たそうです。
浜の社が高いのは、津波の時はここまで逃げろ...という意味もあるとか。
幸い、流されてしまった小学生の孫も、漂流物を乗り換えながら、
無事に別の場所に流れ着いて無事だったそうです。
よかった。
米軍”トモダチ作戦”のヘリポート跡。
不足物資の意思疎通は身振り手振りで、滑稽なのもあってね、と笑ってました。
「トイレットペーパーがねぇ...」
さすがに港と船は全滅だったそうです。
沖出しするか、山に逃げるか、でも後者で正解だったと。
新山浜
被害が少なかったとはいえ、破壊力を感じます。
でも、この浜は、過去幾多の津波でも無事な浜だとか。
今日は牡鹿半島内に。
(続)

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