2011年5月19日木曜日

仙台・牡鹿訪問20110510〜0512 #5


(続き)
行程のGPS軌跡。
石巻から鮎川に伸びる、青〜緑のグラデーションの線が今回の経路。
色は速度で、青い程遅い。
朝、事務所で合流して、支援物資が集結している倉庫に向かいました。
トラックは、福岡県の生協が支援提供してくれているデリバリー用のもの。
今回の目的地は、鮎川の僅かに手前のO浜。300人以上の大きな避難所です。
カセットコンロ、ボンベ、チョコ菓子、リンゴ、下着類、自転車等を積んで出発。

失礼とは思いますが、同行の士、往路復路とも会話に尽きることない道中でした。
お気遣いさていたのかも知れませんが...。
「先生、それはちょっと学生には言えませんよね〜」な話題とか、
本当にいろいろお話したのですが、言えないので割愛(笑)。

真面目な話も沢山していただきました。
・本来の路上生活支援の中で見ていて、被災が原因で路上にでる人が増えている件
・支援物資提供は肉が多いが、沿岸部の、年配者は肉だと食べられない人もいる件
・自衛隊で、生命維持分の炊き出しはしてくれているが、食べる喜びは...
嗜好品については民間支援しかなく、奪う様に欲っしている件
・調整不足で、被災当事者への現金収入支援の瓦礫撤去作業が、
別途指示をうけたボランティアに片付けられてしまった件

途中、海側と内陸側で、明暗を分けた「東部道路」を通り、石巻に。

写真を撮るのに、凄く気が引けました。ですが
「伝えてください」
と仰っていただけたので、でも腰の引けた撮影ですが、撮りました。
石巻市内 これでもかなり片付いているエリア
結構埃っぽく、磯っぽくてかつ饐えたような臭いも。
ただ、以前あった”死臭”ではないそう。
報道で、さんざん見ているとは思いますが、現物の、実際の大きさで対面すると
やはり迫るものがあります。
何故ぐっと迫るのか、最近読んだ、盛岡の書店員さんのコラムではっとしました。
きっと、今は瓦礫ですが、それぞれ被災した皆さんの生活を形作っていた物達の、
変わり果てた姿であり、往時が想像できるけどこの破壊が信じられない、から...?
石巻市内
一見片付いているが、クルマがひっくり返ってます。
片付けで日々景色が変わるので、道を間違え易いそうです。
石巻市街を抜け、旧北上川を渡って、牡鹿半島に入ります。
浜が丸ごと薙ぎ払われていました。
手つかずの瓦礫
でも、自衛隊の捜索は済んでいるよう。
震災直後、このような瓦礫のあちこちに
人体の部品が挟まっていたそうです。
尾根を回り込む為に標高があがると
何事も無かったかのような風景。
でも、地割れもうねりもひどい。
ボランティアの皆さんが、フロートの回収を。
養殖筏の再生が目的かな...
浜に鯉のぼりが!
捕鯨のキャッチャーボートまで。
ドック入りしていたものが流されたそうです。
つい最近、海に戻されて補修に向かいました。
O浜避難所
秋田・湯沢町から炊き出し支援にきていました。
うどん、美味しそう♪
O浜の避難所に到着。丁度昼食の炊き出しの最中でした。
先生曰く、格段にみなさんの顔が明るくなっているとの事です。
・日程はともかく、仮設住宅の場所と入居の概日程がでた。
・連休で、多くのボランティアが来て物事が進んだ(?)
・熱望していた自転車(活動範囲拡大)が、大量に届いた。
ただ「がんばろう!」といっても頑張れないけど、目に見えるものは
やはりモチベーションを上げてくれるのかもしれません。
積んで来たチョコ、自転車は好評で、現地の皆さんに手伝ってもらって
すべて荷下ろししました。

いろいろ情報を伺って、出発。鮎川の様子を観に。
途中の十八成(くぐなり)浜。
皆避難所なので、人っ子一人いませんが、先日、恒例の
「夏祭り」を敢行したそうです。
先生のNPOで、その際のお神酒を届けたとか。
鮎川の街も、やはり薙ぎ払われていました。

シンボルの、観光船乗り場のオブジェ
2005年、ツーリングで来た時の
往時の姿
浜という浜は、軒並み薙ぎ払われていましたが、道沿いには真新しい電柱が。
電話会社の衛星中継車や、自衛隊、専門業者の重機など、再生への動きは
確実にありました。ただ、あまりに破壊の規模が大きいのも事実。
まだまだ、手のついていない部分の方が大きいような印象です。
私が伺った、5/11時点で、半島内の信号機は未だ点いていないし、
ガソリンスタンドも全半島で、給分浜近くの1カ所のみ。被災規模が大きく、
支援の手が緩むとすぐに状況が悪化するのが今の状態のようです。

ただ、今回のものより更に大きな明治29年の津波災害を超えても、
やはり皆三陸に住み続けてきたのは、大きな事実。
考え込ませられました。

仙台帰着後、近くの市民センターの避難所の炊き出しに、同行させていただきました。メニューは豚丼。
「肉類は...」まさに直面。サンマ缶詰を暖めたりと、工夫しています。
炊き出し終了後、ひと椀戴きました。美味しかったです。
皆さんは、ほとんど毎日炊き出し等の支援に携わっているとのこと...。

貴重な経験をさせていただいて、本当に感謝しています。
一言で、結論の言える経験ではありませんが、よく咀嚼しようと思っています。
(結)

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